2017年9月26日火曜日

TEDx Talk/ Dr. DePaulo ---- ご連絡いただいたので有り難く

 もうかなり時間が経過してしまったが、以前に当ブログで紹介させていただいた翻訳書『シングルド・アウト』の原著の著者であるベラ・デパウロ博士が TEDx の講師を務められた(2017年3月25日ベルギー)。数日前に改めてブログについてご連絡をいただいたので、有り難くここに掲載させていただく。講演のタイトルは「独身者について誰も語らなかったこと」( ‘What no one ever told you about people who are single’)というものだ。ご興味のある方はぜひご覧いただきたい。

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2017年9月5日火曜日

『ほんでも』 ―― Something Positive Should Be Going to Happen

 待てば海路の日和あり。
 もう少し若かった頃の母がこのことわざをよく口にしていたという印象がある。何かに行き詰まったり、つらい状況に陥っている時に、それでも希望を捨てずに前向きになろうとする心。この成句を使う人には、その心を支えようとする意図がある。
 辞書などでは、類似することわざとして、「果報は寝て待て」を挙げていることがほとんどだが、後者には、より楽観的な、具体的に何らかの利益をもたらすような展開を期待する印象がある。前者は「待てば甘露の日和あり」に由来するとも言われているが、海路にしろ甘露にしろ、良いことを待っている姿勢に忍耐が結びつきそうだ。これに対し、後者は、良いことを寝て待つのであるから、どちらかといえば楽観的に待っている印象がある。前提になっている状況として、前者は否定的なもの、後者は肯定的なものが連想される。あくまでも個人的な印象であるが。また、どちらの成句にも、焦らずに吉報を待つことをよしとする意味があるが、「何かに取り組み、できる限りの努力をしたならば」という前提が暗黙のうちに読み取られるのではないか。
 私の語彙には、現状に耐え、風向きが変わるのを待つ時の心情を表現するための、「ほんでも」という表現がある。この時に想定される現状は悲壮感の漂うものである。「ほんでも」という言葉自体が持つ意味は、「それでも」だが、私の語彙にあるのは、母親がよく使う言葉としての「ほんでも」である。「待てば海路の日和あり」もよく耳にしたが、これを口にする時の母は、あっけらかんとした明るい様子であるのに対し、「ほんでも」が出てくるのは、ほとんど絶望的になりながらも、あまり執着しすぎず、なおかつ、忘れることもなく、心の片隅に具体的な何かを期待しつつ日々を過ごす人の、けなげとも言える心情を推し量る時である。
 私の語彙の「ほんでも」に特別な意味を与えている理由のほとんどは、母親自らが娘らに語って聞かせたその生い立ちにある。母はそれなりに裕福な家庭に生まれはしたものの、母の母親は5人の子供の末の子を産んですぐに病死し、父親は再婚後に戦争の傷がもとで命を落とした。その後、父親の再婚相手が元々子供嫌いなこともあって、一定の生活を保障する条件のもとに打診された子供の養育を拒否したため、その子供たちは、子供のいない夫婦に引き取られたり、親戚に預けられたりした。比較的に幸せに育ったきょうだいもいれば、悲惨な幼少期を生き抜いたきょうだいもいる。
 私の母を待っていた境遇は、後者だった。母は、その記憶によれば、財産目的に養育を承諾したと思われる親戚に預けられ、散々嫌がらせを受ける日々を送った後、本人の言葉によると「口べらし」として養女に出されたが、その養女とは、学校にも行くことを許されず、土方のような仕事に出されたり、家の中の雑用をすることだけが許されるような、本人曰く「下女」、「べいや」のようなものだった。ただ、子守だけは嫌いではなかったと言っている。子供の私の目から見て、母は、一般的な大人よりも子供の気持ちを思いやる姿勢は強かった印象がある。幼い頃の自分が重なるということもあるのだと思う。
 母は、父親が病床にある時に呼ばれ、一度だけ弟の手を引いて裸足で会いに行ったという。栄養失調で異常な体型になっている娘を見て、父親は目を見開いて驚いたとか。しかし、お腹が出ていたため、その場を取り繕おうとした親戚の女性が「まあ、よく食べて、ふっくらとしたなぁ。」と言ったとか。しかし、母曰く、「父親の目は全てを悟っていた。さぞかし辛かったろう」。
 その後、初潮を迎えた時に、引き取った家が全く何も教えず、用意してくれなかったことに見切りをつけ、ひとりで家を出た。その時に養父母がくれたものはタオル一本だったという。本人も薄々気づいているが、母は今でもタオルをなかなか捨てられない。数年前の夏のことだが、車の助手席に母を乗せた際、バッグから擦り切れて穴が開くかどうかまでスカスカになったタオルを取り出し、「いくらなんでもこのタオルはひどいわぁ。」と自分でも驚いた後、頭から被って顔の前に垂らし、「貴婦人」と言って、あっはっは~っ!と笑っていた。Face Net のことだ。

 話を戻すと、上記は小さな片鱗だが、私はそのような母の回想を聞いて育った。母が自らの心情だけでなく、絶望的とも思える状況の中で何か具体的な明るい展望を待ちながら日々を過ごしている人の心情を、「ほんでも」と表現する時、私がその言葉に一言では言い表せない思いを感じることはお察しいただけると思う。
 ここで具体例を挙げるのが一番だが、なぜだかすぐに思い浮かばない。具体例を挙げるのが難しい。この「ほんでも」は、漠然とした展望ではなく、具体的な一縷の望みを控えめながらに待ちながら現状をやり過ごすような時の心情を表現するのだが、具体例を挙げるにはもっと具体的な細かな記憶を私自身がたどらないといけないのだ。具体例の代わりに説明をつけ加えると、この言葉は、人から見ればほとんど望みのないことであっても、心の拠り所をそこにしか見出せないゆえに、人からは理解されなくとも考え方と行動を変えずに日々耐え忍ぶ時の「それでもいつか」という気持ちを表現するものである。
 さて、最後に書きたい。上に、悲壮感の漂う回想について主に書いたが、タオル一つを持たされて家を出た母には希望があったという。身寄りがないという理由で嫌な目にもたくさんあったらしいが、苦労はあったとは言え、自分ひとりの意思で自分の生き方を決められる幸せがあったのだ。家を出て、仕事をいくつか変え、たばこのお店で店番をしていた時に父と出会った。父は昔ながらの地主の家系に育ち、身寄りのない母との結婚を反対され、ふたりは駆け落ち同然で結婚した。その後、家族が増え、それはそれで様々な苦労はあったと思うが、母曰く、若い頃は貧しかったが夢があったと。そして、父親と結婚した運命に今でも感謝している。先日姉が言っていた。母親の年齢で、生まれ変わっても同じ人と結婚したいと思える人は珍しいと。
 いくつもの「ほんでも」を乗り切った人生に幸運な出会いがあったのだ。

 
 
 

2017年7月17日月曜日

髪のダメージがそのまま心にダメージを---- My Hairs Got Damaged and So Did I

 髪型のことでこれほど心が傷ついたのは思春期以来だ。これほどまでにひどいことになろうとは。
 日本にいた時は、信頼できる美容師の方にお世話になっており、髪型についてのあれこれを思う存分話すことができ、かなり恵まれた環境だった。最初にその方につないでくれたのは、夫である。夫自身がその方にお世話になったことが何度かあり、「あの人、たぶん、話合うと思うよ」と勧めてくれた。それまでの私は、どこの美容院に行っても技術的なことと美容師の方の人柄とがあまり良くない方向に絡まり、客としての満足度を得られることが少なかった。つまり、その美容師が客である私をどうみているのか、ということと、こちらの出しているオーダーの美容師の理解度との間には微妙な連動性があることに不快感があり、また、さらには、話が合わない相手との会話を客であるにもかかわらず相手に気を遣いながら続けなければいけない苦痛など、美容院に行くのは常に何らかの苦痛が伴った。

 日本でお世話になっていた美容師の方は、向上心があって技術的に信頼できるのはもちろんのこと、美容師として考慮すべきことの認識範囲が広く、あらゆる意味で安心しできる空気がそのサロンにはあった。もちろん、注文内容について誤解のないように、しっかりと確認するための作業も自然にこなしておられる。

 日本での経験が恵まれていたという意識はあり、こちらではあまり多くを望んではいけないと思っていたが、少々、いや、非常に事態を甘く見過ぎていた。私の滞在している地域は、自然と共存して生活するという姿勢にかなり意識の高い地域である。ただし、文化的な活動にも力を入れており、世界的に名の知れた学識者や各界の著名人を招いての講演、芸術的な催し物も頻繁に行っている。このような土地柄であるためか、自然に囲まれた場所である割には、いかにも流行を意識した美容院と、古くから土地に根付いていて、近所の年配の方々が通ってくるような美容院とが共存している。地方都市では珍しくない状況だと思うが、家の大半が山道ともいえる道路を通ってたどり着くような地域では、少し特殊な気もする。

 さて、話を戻すと、今回、美容院選びには全く時間をかけなかった。単純に、割引券を使おうと思ったからだ。ネットで場所を確認するついでにお店のホームページを見て、まあ普通だと思った。写真を持参して少し説明をすれば、それほどの誤解は生まれないだろうし、もし少々思ったようにならなくてもそれはそれでおもしろいと思った。あまり多くは望まないぞ、と。

 お店と美容師の雰囲気が、実家の近所のお店を彷彿とさせた。母がたまに行くお店で、私も実家にいた時には折に触れてお世話になったのだが、客の印象も含めて注文内容を把握する、という姿勢が、少なくとも私にとっては嬉しくない方向に働くということを何度か身をもって悟らされた印象がある。

 話を再び戻すと、私はお店で写メを見せると同時に、「私の旋毛は時計回りだから、こちらの耳の周辺の髪を内側に巻くとすぐに伸びて棒状になってしまうので、外巻きか上に巻き上げるようにしてください」と説明した。私の髪は背中の真ん中まであり、注文した髪型は、頭の中央くらいから下がゆるくカールする髪型である。

 美容師がロッドで髪を巻き始めた瞬間に、明らかに仕上がりは写メのようにならないだろうと思った。相当細いロッドで巻き始めたのである。しかも、地肌までぴっちり巻いている。私は、写メで見せた髪型にするのにこんなに地肌まで巻くのかと質問したり、巻きがきつくならないようにしてくれと念押ししたり、恐る恐るささやかな抵抗を試みたが、先方はたいして相手にしていないようで、最後まで時間をかけて、全体の毛を細いロッドでびっちり巻いた。途中、はみ出して絡まった毛をブチっと手で引きちぎったりなどしながら。パーマ液を洗い流した後に、満足げに「うまくかかったわ~」とつぶやく声が聞こえた。

 鏡で見ると、長い髪全体が見事にくるっくるだった。覚悟はしていたものの、思ったよりも細かくくるくる巻いている髪を実際に目の当たりにすると、唖然として言葉が出ず、顔が引きつらないようにすることと、前髪を伸ばして下ろしてくれと頼むのが精一杯だった。感情を隠すのに必死なところが私は日本人だ。

 乾かしながら、「完全には乾かさないわよ?乾かすと縮れるから」と。今後の日常生活はどうすればいいのですか?
 
乾いてからはさらに悲惨だった。天然のきつい縮毛のよう。本当に爆発したような髪型ならそれはそれでいいのだが、縮れているだけで棒状になっている部分もあり、一言で言うと、「生活に疲れて髪も心もボロボロ」な感じ。髪を下ろしていても見苦しくないように美容院に行ったつもりだったが、これでは髪を上げていても縮れっ毛が隠しきれないくらい。
 最近、心配事が重なり、精神的に疲れてきて、気分転換に髪を整えようと思った。結果がこれ。かなりきつい。

 髪もボロボロだが、心にもかなりのダメージ。隠しきれないとはいうものの、上げていれば出かけることはできると何度も自分に言い聞かせたが、心に得体の知れない傷を感じる。何なんだろう。こんな髪になったという事実だけでは説明がつかない。それはつまり、人間だ。写メとはまったく違う髪型になっていることに美容師が気づかなかったわけはない。ただし、悪気のようなものは感じなかった。ただ平気だっただけである。写メを見せ、注文をし、旋毛の説明までした後で、作業の間にお店の話を聞いたり世間話をして時間を共有したにもかかわらず、こんな髪型になった私を平気で店から送り出したのだ。これが得体の知れない心の傷の原因である。しかし、その一方で、この悲劇の大きな原因は、ロッドを巻く美容師の手を止められなかった私にあるのだと思う。

 この地域に来てから初めての美容院だったが、割引券につられたのが悪かった(しかも、パーマはたいして割引にならなかった)。この髪型をなんとかするために、自分の目とネットではない生の声を頼りに次をあたろうと思う。私の心はかなり傷ついたが、美容師が特に悪い人には見えなかった。 . . . と自分に言い聞かせつつ、次のお店でかけ直してもらうために、電話をかけて、パーマ液の種類と塗布時間を聞いた。「髪を染めていると言ったからその番号を使ったのよ?」という補足説明があり、人の心理とはおもしろいものだと思った。

2017年5月8日月曜日

『シングルド・アウト』(Singled Out) について

 
 結婚と女の人生。男性と女性とでは人生における結婚の影響のあり方が違う。女性の方が大変だと言いたいわけではなく、単に違うのだ。私は幼い頃から、(今にして思えば)ジェンダー・バイアスには敏感で、「女の子らしさ」を求める社会に違和感を覚え、思春期になる頃には、ジェンダーを前提とする社会常識に強い疑問を持つようになった。結婚だけがその対象ではないが、結婚にまつわる事柄はわかりやすい例である。結婚して急に偉くなったような態度をとる人を何度か見たが、女性の場合、結婚すると一人前になる機会を奪われる可能性が高いのに、このような現象が普通にあること自体が不思議である。これにとどまらず、結婚一つをとっても不思議なことが多い。私はそれらを書きまとめようとしていた。 
 ところがである。既にそのような内容の本が存在した。米国の社会心理学者、ベラ・デパウロ博士の著書 Singled Out である。日本でも『負け犬の遠吠え』などが出版されているが、Singled Out は、会全体の風潮とそれを加速させている学術研究などを取り扱っているという点で、より包括的である。著者に危機感を抱かせたメディアの発表や出版物について、1998年から2005年まで(デパウロ博士の書籍が出版された2006年の前年)の間の流れを追うと、同著で言及されているだけでも以下のものが挙げられる。『ニューヨーク・タイムズ』においてリンダ・ウエイトが「結婚は万人にとってよいもの」と断言した記事、同じくウエイトによる『USA トゥデイ』での「結婚は男女の健康と長寿を助ける」という発言や、本書でその証左と手順について、科学的見地から異議をとなえることになった、ウエイトとマギー・ギャラガーによる『結婚擁護論』の出版。また、それに対する主要紙の肯定的な反応や「成人では既婚者が最も健康である」という題名の疾病管理予防センターの調査発表。さらに、ステファニー・クーンツの『結婚 ---- その歴史』における「西欧と北米の既婚者は、他のどのような生き方をしている人たちよりも、概ね幸せであり、健康である」との主張などである。
 日米間には宗教的背景の違いもあり、アメリカ社会に見られる結婚賛歌や独身者の状況がそのまま日本のものとして置き換えられるわけではない。しかし、日本の婚姻制度が成立した背景には、明治時代に西欧諸国から近代国家として認められるべく西洋文明を取り入れざるを得なかった状況や、アメリカによる戦後の民主化政策があり、日米の両方の社会に類似の結婚崇拝や独身者差別があっても不思議ではない。制度として維持されている以上、日本においても結婚は人生の課業であり続け、様々な語りの中で称賛される。そしてその背中合わせの現象として、はっきりと、あるいは暗黙のうちに、独身でいることに理由を求められることも多い。
 古代日本は母系社会であり、鎌倉時代から江戸時代にかけて武家社会の発達とともに家父長制が広がった。善積京子氏によれば、明治13年の刑法典において妾の親族上の身分が廃止されて、新たな妾の登録が中止されるまで、明治時代の「新律網領」、「太政官布告」では一夫多婦的な妻妾制度が公認されていた。婚外子の扱いも異なる。しかし、西欧諸国の植民地化を避けるべく、条約改正に際して、西洋文明を吸収し、国内改革を進めることが課題となり、かねてから西洋人から批判を受けていた妾制度を廃止して、一夫一婦制を取り入れざるを得なかった(『婚外子の社会学』、世界思想社、1993年)。このような流れで見た場合、婚姻制度の根本にある思想や、それと対比する形で浮かびあがってくる独身者であることの社会的位置づけを理解するうえで、西洋文明下の一夫一婦制婚姻制度の成り立ちと独身者の扱いに目を向けることは興味深い。
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 さて、話を中断するようで申し訳ないのだが、実は、これは、Singled Out の邦訳版『シングルド・アウト第1巻: アメリカ社会のシングリズム(独身者差別)とマトリマニア(結婚熱)』の「邦訳版あとがきにかえて」の一部抜粋である。
 私はこの本に出会って、すぐに著者のデパウロ博士に連絡をとった。邦訳版を出させて欲しいと頼んだのだ。自分の力不足を反省せざるを得ないのだが、その後、どの出版社からも色よい返事はもらえず、結局は電子書籍として出版することにした。
 西洋文明下の一夫一婦制婚姻制度の成り立ちと社会における独身者の扱いについて、あとがきで読んでいただければ幸いであるが、今回のブログ記事に興味のある方は、なんといっても、『シングルド・アウト』そのものをご一読いただきたければと思う。出版前に「日本は独身天国。アメリカとは状況が違う。」という声も聞かれたが、少なくとも私は違和感を持たずに読むことができた。もちろん、例えば、同著の話題として登場する「離婚長者」というような概念は日本では浸透していないなど、具体的な状況や背景の違いはある。しかし、このブログの内容に興味を持たれた方ならば、根本的には共感できるはずである。日本人として日本に住んでいたとしても、全く違和感なく読み進められると思う。
 『シングルド・アウト』は、既婚者と独身者の対立について扱ったものではなく、邦訳版を手掛けるにあたり、私が既婚者であることと翻訳者としての立場は決して矛盾するものではないと、ここで申し添えさせていただく。


2017年5月2日火曜日

INTRODUCTION

 世の中には不思議なことがたくさんあるものだ。
と、明確に認識できれば、その原因をおのずと折に触れて考えたりするものだが、漠然とした違和感を覚えたまま、そのような違和感が頭の片隅で眠っていることもある。また、ある事柄に対して感じている違和感を口に出すや否や、あるいは、時には、その違和感が喉につかえたままの状態で、その違和感を誰とも共有していないと悟ることがある。逆に、そのような事柄への共通の反応が試金石となって、人との交流が深まることもしばしば。いわゆる「価値観が同じ」、「考え方が似ている」という状況だ。
 私は自分では、世間一般で言うところの「普通の家庭」に育ったと思っている。家庭の中を覗いて一人ひとりを観察した場合には、それぞれ特異な部分はあるかもしれないが、無責任に外から眺める分には、ごく普通の家庭だと思う。その「普通の家庭」に育った私だが、その辺でなされている会話にうっかり参加すると、ただストレスの連続になることが多い。私にとっては不思議なことであるが、同じ道筋で物事を考えないと納得しない人たちが世の中には多くいるからだ。そういう類の大多数の人たちに取り囲まれて人生を送るのだから、生きていく上で関わらなければいけない様々な仕組みに、いちいち疑問を感じてしまう。世間との軋轢とも言うべきものなのか。
 つまり、私は、人の世が面倒くさい。何となく集まっている人々の集団の中では息苦しく、かと言って、特に何かに秀でているわけでもないから、どのように生きていても、人を納得させるような事実もなく、単なる変わり者としてあちこちに引っかかりが出てしまうからだと思う。頭脳明晰ならば、自分の生きる道を見極めて、確実に自分の足場を築き、裕福かそうでないかは別にしても、何らかの形で自分の能力を活かすという意味での拠り所のある人生を送っているだろう。
 世間の人の無意識の愚かさには敏感でも、自分自身の愚かさには対処しきれない。当たり障りなく人づきあいをしようとしても、疲労感や虚無感が大きすぎ、さらには結局、無理である。どうしても奇人変人的な要素が表面化してしまう。それならそれと割り切って、それなりに生きようとすると、社会の仕組みにいちいちぶつかって、結局は、苦労しても何の結果も得られないという状況が待っている。
 さて、私は女である。何となく世間との距離を感じているからには、当然のことながら、女としての生き方にもある程度の葛藤があった。なぜなら、今でこそ昔ほどではなくなった(のではないか)と思うが、結婚、出産というものが、女としての自分の人生を考える上で、避けては通れない課業のようなものだったからだ。ここまで読むと、結婚と仕事のどちらかの選択に迫られて悩む、仕事と家庭の両立で悩む、などの言葉が頭に浮かびそうだが、私の葛藤は、ある意味、自業自得的なものであり、もう少し屈折していた。なかなか就職できない上に、就職先の場所を選べなかったため、就職することと家庭を持つことが、確かに心理面を除いてはいい関係ではなかった。結果的には求職者のまま結婚したのだが、結婚制度がもたらす様々な不思議について、既にある程度の違和感を持ちながらも自らも結婚し、ぬるま湯に浸かっているとも針の筵に座っているとも言えそうな、なかなかの葛藤の日々を送った。
 このぬるま湯と針の筵の関係から生まれる葛藤とはどのようなものであるか。結婚している状態というのは、考えようによっては、ぬるま湯に浸かっているようなものである。結婚して子供もいます、普通の妻、母です、という空気を全開にして、何か重要なことが肩にのしかかりそうになったら、夫に聞かないとわからないと言っておけばいい。これを実践するには、世間の人と歩調を正確に合わせていかなければいけない。ほとんど同意できない意見に対しても、心の底から納得したように受け止めなければいけない。そのような振る舞いは、それが本気でない限り苦痛だ。心はほぼ死んでいる。そして、その一方で、自分の目指すべきものに悩み、ただ毎日が過ぎていくことに焦りを覚える。妻や母であることに満足せよという空気も時には感じながら。
 しかしながら、幸せだったかどうかと聞かれたら、幸せだったと思う。子供も生まれて、さらなるエネルギーが湧き、生きる意欲が倍増した。子供はエネルギーを奪うのではなく、与えてくれる。自分に100のエネルギーがあったとしたら、子供を二人産んで、300になったと思う。ふわふわした表現だろうけれど、実感として。
 今も結婚生活を続けている。私は幸せだと思う。葛藤は影を潜めている。なぜなら、寛容な愛すべき夫の協力のもと、子供らと共に日常の場をしばらく異郷の地に移したからだ。窒息しそうな世界から離れたという解放感。特に、次の二つ。子供を持っているという以外はほとんど共通点がないにも関わらず、無理やり一括りにされている「共感しあうべき親たち」の世界と距離を置くことができた。それと、こう言ってはなんだが、不思議だらけの自治体の活動に住民として巻き込まれることもない。

 世の中と上手に折り合いをつけて生きていく自信は未だにない。けれども奇跡的に幸せだ。遠方にいながらも、気の合う友人らと四方山話をし、励まし合いながら、しばらくは異郷の地の時間を活かしたい。子供らはなかなか大変だと思うが、よく頑張っている。